セカンド・コミットメント

国際離婚調停中に出会ってしまった彼との恋。

ダンス

お酒を飲むとストレートな愛情表現がぐっと増える彼。それがとても嬉しい。

 

今はコロナ禍で外食はできるだけ控えるという状況で、お家でまったりワインを飲むことが増えました。二人とも料理するのが面倒な時なんかは、買い置きのチーズとクラッカーでワインを開けて、軽く済ませる、みたいなこともたまにあります。

 

この日の夜もこんな感じで、夜ご飯と一緒にワインを開けて、おいしくってどんどん進んで。彼がダイニングのステレオで音楽をかけて、食事も済んだところで「踊ろう」って。

 

席を立って台所の前で手を取られ、一緒に踊る。他には誰もいないけど、音楽と彼に体を預けて、酔いも手伝ってくらくらしながら見様見真似のステップを。

 

彼はしばらくそうしたあと、とても嬉しそうにぎゅーっと私を抱きしめて、揺れながら「他の何よりも愛してるからね」って頭のてっぺんにささやいてくれた。ちょっと見上げたら目が合って、そっとおでこにキスしてくれたあとにしっかりキス。

 

普通の家の普通の台所も、彼と一緒ならこんな特別な空間に。

 

お互いに同じ気持ちで、同じ方向を向いて、大切にされて、大切にして。私は本当に幸運です。

コンサート

ソファに並んでテレビを見ているときに、彼が言った。

「来週の金曜日に、コンサートを予約したよ」

「え?そうなんだ、私も行っていいの?」

「君の好きなジャンルの音楽だったから予約してみた。もちろん、二人で行こう」

 

コロナ禍でいろいろなイベントが中止になるなか、隣町で地域ボランティアが手弁当で作り上げる小さなコンサート。いろんなジャンルのアーティストを招待してくるみたいで、ジャズなんかの時には彼も何度か行ったことがあるらしい。

 

私にとっては何より彼が、私が好きそうだな、って考えて予約をしてくれたその時間と労力が嬉しくて。そして「二人で出掛ける」ということがコロナ禍でほとんどデートらしいことはできなかった最近では本当に貴重。ああ、来週末、楽しみだなぁ。って心から思った。週末が楽しみな気持ち、二人でのお出かけのワクワク、新鮮でたまらない。

 

そしてコンサート、行ってきました。隣町まで車で45分くらいかかるんだけど、彼が運転してくれた。元夫は免許も持っておらず、お出かけと言えば私が運転担当で、毎回助手席で私の運転に対して舌打ち、文句、挙句の果てには道中ほぼ無言、無視、というのが当たり前だった11年間で染みついた「車で出かける憂鬱」それも、彼の運転でどこかに行くという新鮮な経験を重ねるたびにトラウマから抜け出せて来ている実感がある。道中も彼の横顔をそっと見てみたり、携帯マグに入れてきたコーヒーを飲んだり、色んな話をして笑ったり。そうかぁ、ドライブデートってこういう楽しいイベントなのか(笑)なんて、あらためて感動。

 

コンサートももちろん、心から楽しんで、彼とぴったり寄り添って音楽を聴いて、あれがよかったね、ここが好きだった、なんて帰り道もいろんな話をして。

 

11年間蓄積されたモラハラのトラウマは、自分でも気づかない深いところにまだまだ残っていて、私は一人で勝手に委縮してしまうことがある。彼との日々は一瞬一瞬がそのトラウマからの解放でもあります。

Duolingo

私は日本を出てから11年、現地の言葉を学び、現地の言葉で暮らしてきた。彼ともここで知り合ったわけなので、二人の会話は基本的に現地の言葉。

 

でも、いつかは彼に日本を紹介したい。彼もいつかは日本を訪れてみたいと言ってくれている。私はこの地で生きていくと覚悟して来て、これからも日本に戻って永住するつもりはないんだけど、やっぱり私のルーツを見てもらいたい。日本の美しいところを一緒に体感したい。

 

ちなみに彼は、ネイティブである現地語のほかにスペイン語が流暢。その他の言葉もあと2か国語ほど旅行で困らないくらいに使える。私はそれを本当に尊敬しているんだけど、先日「日本語もやっぱり少しは分かるようになりたい」っていうことで、まずは試しにと、携帯にDuolingoという語学学習アプリを入れて、毎朝「あ」「ありがとうございます」「はじめまして」とか練習し始めた(笑)

 

見ているとなかなか面白そうで、私も一緒に始めてみることにした。彼に勧められ、そして私も彼の世界をもっと知りたい思いもあり、スペイン語。それに私は昔からクラシックギターを弾いていて、スペインという国、音楽や文化に憧れがある。大学の教養科目で第三外国語を選択せねばならなかったときに、ちょっとだけかじったこともある。なにより彼とお互い母語でない言葉でしゃべってみたい!なのでモチベーションも高い。

 

それから二人で毎日ポイントを競い合いながら、寝る前に、寝起きに、ソファでテレビに飽きてきたら、という具合にアプリで勉強している。

 

これまで私は142日間連続でアプリを使っていて、スペイン語の基本構文がやっとわかってきたところ。そうなると、やっぱりアプリだけでは物足りなくなり、書店で辞書や参考書を数冊仕入れてきて並行して参照している。彼も、自分が勉強していた時の参考書を倉庫から引っ張り出してきてくれた。時々質問すると教えてくれる。本当にありがたい。

 

彼の日本語の方はまだまだなんだけど、スペイン語は英語と近いこともありちょっとずつ思いを文章にすることができるようになってきた。なので、彼にたまにたどたどしいスペイン語で話しかけてみたりする。そしたら彼もスペイン語で答えてくれて、お互いに母語ではない言葉で会話する、というのが新鮮で嬉しい。

 

これからもスペイン語の勉強を続けていって、進捗や思うことなどブログにも書けたらなと思う。

すごくいい一日

息子が父親担当の一週間は、彼の家で過ごしています。おはようって起きて一緒にコーヒーを飲み、夜には一緒にお布団かぶってしばらくテレビ見て、いろんな話して、どちらともなく寝落ちしたり、おやすみ、って目を閉じたり。平凡な日常を、彼となら無理なく穏やかに過ごせる。

 

この日は、私だけ朝から車で彼の家を出発。ちょっと遠出をして、気の置けない女友達とガールズランチ。その後お茶を飲みながらいろいろなことを語って、すごく盛り上がって楽しくて。帰りは夕方、彼の家に帰りついたときにはすっかり暗くなってました。

 

今までだったら・・・。帰る前にばたばた夕食の買い出しもしなくちゃだったし、元夫は私の外出を心底嫌っていたから、玄関を開けた途端に真っ黒いオーラが漂い、不機嫌丸出しでソファにふんぞり返って携帯なんかいじってる元夫を横目に、台所直行で夕食の支度だったよね。話しかけてもほとんど無視されて。どうして友人と楽しい時間を過ごすことを怒られるのか理解できずに、一緒に過ごした友人にまで申し訳ない気持ちになって、涙をぬぐいながら料理したものです。

 

10年以上続いたそんな生活。なかなかトラウマは抜けないんです。この日も帰り道にどんどん暗くなってきて、私もどんどん緊張して。彼はおなかをすかせているかもしれない。一人放っておかれて寂しかったかもしれない。機嫌が悪いかもしれない。いや、そんなことはないはず。ぐるぐるぐるぐる考えながら、急いで帰って、緊張しながら玄関のドアを開けた。

 

家の中は晩御飯のいい匂いが漂ってて、彼が台所から笑顔で出てきた。「どうだった?友達元気にしてた?」から始まって、彼の特製スープを囲んで食卓でひとしきり友人との時間について彼に話した。おいしかったランチのメニュー。友人の近況。レストランの店員さんの話。いろんなことをうなずきながら、時々彼の意見を交えながら、一緒に笑って、おいしいご飯食べて。本当に他愛無い話題なのに、ちゃんと聞いてくれた。喜んでくれた。もちろん、彼の一日の話も聞かせてくれて。

 

食事を作って待っててくれて、私が楽しい時間を過ごして来たら、それを一緒に共有してくれる。離れて過ごした時間があれば、また戻った時にそれぞれの時間を共有しあう。それを楽しいと思ってくれる。私が幸せだったら自分も幸せと思ってくれる。

 

元夫には私の話なんか全く興味を持ってもらえなかった。嬉しかったことを嬉しそうに話すと「うるさい」の一喝。いつの頃からか、私のことを自分から話すことは無くなった。私の世界には興味なし。幸せを共有できないことは本当に悲しかった。

 

それを思い出したら・・・。少しだけ飲んだワインも手伝って、嬉しくてうれしくてぽろっと涙がこぼれてしまった。家族って、パートナーってこういうことなんだな。

 

そんな彼とももうすぐ付き合いだして一年になります。こんな幸せ、彼が彼でいてくれる奇跡をこれからも忘れずに、ゆっくり一緒に生きて、老いていきたい。

ちょいと寂しい夜の歌

Netflixで全世界に配信されている日本のドラマ「深夜食堂」

 

彼と二人で何度も一緒に観ました。もともと彼が見つけて好きになったドラマで「日本が舞台」ということで出会ってすぐのころに「はまってるんだ」って何度も聞いていたドラマでした。二人で夕食後に布団にくるまって見る深夜食堂は、彼の人生、私の人生、これまでの二人が経験してきた悲喜こもごもをそれぞれに思い出させる人間ドラマ。深夜食堂「めしや」とそのマスターは、私たちにとってすごく特別な存在です。

 

オープニングの「思ひで」があまりに素敵なので、先日、音楽だけでも聴けるようにドラマのCDを日本から購入しました。どれも素敵なんだけど、特に最後の一曲「ちょいと寂しい夜の歌」を初めてじっくり聞いて感動しました。

 

歌詞はこんな感じ。

 

こんな夜 誰もが
笑い浮かれてる季節
酒を飲み 歌を歌い
死んだように寝るのさ

どこまでも どこまでも
旅は果てなく続くが
出会う先で笑いあり
別れる時にゃ 涙ある

もしあんたが死ぬときにゃ
一緒にいてあげたい
そんなことを思う夜
ちょいと寂しい夜

もしオイラが死ぬときにゃ
後なんて追わないで
どこまでも あんたらしく
歩いて行っておくれよ

もし二人が死んだ時にゃ
心も体もひとつ
土の上に芽は生えて
一緒に伸びてゆくさ

陽が当たる屋根まで伸びて
切れることもなく
絡み合い いつまでも
花は咲き続ける

月もない こんな夜に
一緒にいておくれよ
そんなことを思う夜
ちょいと寂しい夜

 

人生後半に出会った彼と、これから先のことを考えれば避けては通れない老い、そしていつかは訪れるこの世との別れ。

もしあんたが死ぬときにゃ
一緒にいてあげたい
そんなことを思う夜
ちょいと寂しい夜

もしオイラが死ぬときにゃ
後なんて追わないで
どこまでも あんたらしく
歩いて行っておくれよ

もし二人が死んだ時にゃ
心も体もひとつ
土の上に芽は生えて
一緒に伸びてゆくさ

 

どちらが先なのかは分からないけど、どちらが先に行っても、灰のままもう片方を待つ。そして二人ともこの世に別れを告げるときが来たら、二人の灰を一緒にして海にまいてほしい。そういうことを話しました。歌詞では「土」だけど、私たちは「海」どっちにしても、二人そろって自然にかえりたい。気負わずその時のことを話せる関係、そして何か打ち合わせたわけじゃないのに自然に同じ希望を持っていたこと、それが心の底から嬉しかった。横にならんて同じ方向を見ているパートナー。このめぐりあわせは本当に奇跡です。

 

近況

私の住む国でもコロナ禍の影響は避けられず、3月以降ブログが書けずにいました。コロナ禍の状況を詳しく書いてしまうと在住国が特定しやすくなってしまうし、敢えて触れないようにしているので、落ち着くまでは詳しい近況や時事情報が関連することはブログには書かずに置こうと思っていました。

 

とはいえ、コロナ禍にあっても彼との関係は穏やかに流れ、より強く確実な絆ができていくのを感じています。親権問題が落ちつき、子供が父親と会う時間も決まり、二人きりで過ごす時間もぐっと増えました。四六時中一緒に過ごすことが増えたわけですが、自然にストレスなく同じ屋根の下に居られるというのは奇跡とすら感じます。

 

初めて出会ってから早8か月弱。コロナの影響もあり大きな外出などができない状況だったからこそ、穏やかな毎日を繰り返す中で10年後20年後、彼と「家族」として地に足の着いた「生活」を共にしていく将来像がくっきりと描けるようになりました。モラハラのない毎日。いつ怒鳴られるか分からない、パートナーの理不尽な怒りに触れないようにと妙なプレッシャーにびくびくしないでいい家庭。何もしなくても、優しい笑顔と「ありがとう」「愛してる」の言葉だけで幸せな日常。

 

何より何か問題があればパートナーとして力を合わせて解決する。こんな当たり前のことを自分がモラハラ下でどれだけ切望していたのか、そういうことを考えてしまって、彼との8か月の暮らしを振り返ると、こみ上げるものがあります。

 

特別なことをしない日常が彼となら本当に愛おしい。その毎日を、これから何年も、何十年も重ねていけたらいい。

彼の周りの人たち

私が日本からやってきて10年ほど、この町で住んでいた地域はどちらかというと教育志向のそこそこ収入のある家族が住む住宅地ばかりでした。モラハラ夫は社会的には成功していていい仕事について、年齢の割には稼いでいました。子供のためにも、と評判のいい学区に住んでいました。

 

彼も子供が小さかった時にはそういう地域に住んでいたらしいけど、現在は自分の好きな土地、ものすごく地域の歴史の濃い場所に住んでいます。すぐ近くには一番治安の悪い通り。でも、そここそが我が町で一番エネルギーにあふれた面白い土地なんです。

 

彼と知り合ってから、そのあたりを二人でよく歩きます。治安が悪いといっても小さな田舎町。昼間はのどかなもので、10年住んでいたのに全く知らなかった土地の話を彼から聞きながら、二人で散歩するのはとても暖かい。二人お気に入りのレストランもあって、朝ならコーヒー、週末ならブランチ、そして夜はワインを飲んだり食事をしたり。彼はもともとお得意様で、そこに私が加わって、レストランの店員さんも私たち二人によくしてくれる。

 

子供が父親と過ごしていた先週末。彼の友人と一緒にお気に入りレストランで夕食。楽しいひと時を過ごした後、友人は帰宅。彼と二人でそのまま歩いて家までの帰り道にある飲み屋に寄ったら、そこには彼の地元の知り合いが。みんなから「とーさん」って呼ばれてる人で、私の父と同じ年齢(笑)

 

とーさん、彼、そして私の3人で、最初の飲み屋を後にしてもう一件別の飲み屋さんに。そこは本当に地元の人たちから愛されていて、スポーツ中継なんかでみんなが盛り上がるような村の酒場。

 

ほぼ出来上がってる私たちに、酒場のママも地元言葉丸出しでちゃきちゃきお酒を出してくれる。とーさんも彼も交互にジュークボックスにコインを入れて、その場のみんなを巻き込んで音楽を聴きながら話しながら飲む。ローカル訛りの現地語はなかなかハードルが高い。しかも実は怖い場所だと思ってて今まで行ったことのなかった地元中の地元。でも彼が隣でフォローしてくれるおかげで私も楽しく会話に混ざれる。これはホントに目からうろこというか、私の知らなかった世界の扉がばーんっと開いた感じ。あんな地元訛りの人が近づいてきたら今までは自分の先入観からまず逃げていた。私みたいなアジア人は、差別的な言葉をかけられるに違いないって決めつけて。

 

地元人の彼と一緒にいたから、というのも多分大きいけど、私は間違ってた。みんなみんな言葉は荒いけど、皆さんなりに「日本人」の私を迎え入れてくれて、色々質問してくれて、わざわざ向こうのテーブルから握手しに来てくれたり。サヨナラ、アリガトって知ってる限りの日本語で挨拶してみてくれたり、暖かかった。そのうち日付が変わる前、酒場の閉店時間になったから、帰る前に私はお手洗いに行った。

 

帰り道。彼が教えてくれた。私がお手洗いにいる間、隣に座ってビールを飲んでいた地元サッカーチームの帽子にマフラーにシャツ、と地元愛ばりばりの中年男性。彼に近づくなりおもむろにこんなことを言ったそう。

 

「これは変に取らないでほしいんだけど。」

 

この一言、彼はそのあとに何が来るかとちょっと身構えたそうだ。

 

「どうやったら日本人女性と知り合えるの?!」

 

(笑)

 

いろんな取り方はできるかもしれないけど、私は嬉しかった。ホントに日本人でもいいんだなぁ。いろいろな部分であまりにこの地域のローカルな人たちとはかけ離れている私は、一生異端で生きていくのかなと勝手に覚悟してた10年間。そういうものでもないんだなー。って驚いたし、嬉しかった。

 

もちろんこれは彼の人格によるところが大きい。彼が地元で皆から信頼されて愛されているからこそ、その隣にやってきた私もすっと受け入れてもらえたんだと思う。人生の妙、縁と運に感謝する毎日です。

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